2008年8月30日土曜日
2008年8月24日日曜日
ゑしんの里(恵信尼公廟所)に行ってきました
今日は、「浄土真宗本願寺派保育連盟第二ブロック まことの保育大学講座」に招かれ、上越市(旧板倉町)にある、親鸞聖人のお連れ合いの「恵信尼公」の廟所に行ってきました。
きれいに整えられた場所に、旧板倉町によって建てられた「ゑしんの里記念館」(左の写真)がある。
長野県の「豊野」から、信越線に乗って、お昼過ぎに「直江津」に到着。まず、かに尽くし(写真)の昼食をいただいて、会場へ移動!
もう、何年も前に一度、訪問したことはあったけれど、「ゑしんの里」という形で、新しく整備されてからは、初めての訪問だった。
きれいに整えられた場所に、旧板倉町によって建てられた「ゑしんの里記念館」(左の写真)がある。
ここが、保育大学講座の基調講演を行った会場となった。
そして、その奥に、親鸞聖人のご真筆の写しの「南無阿弥陀仏」の名号の碑と、「恵信尼公」のお墓だといわれている「五輪の塔」が、並んでたっていた。(右の写真) 恵信尼さまのありし日を偲ぶという意味では、静かなたたずまいの所だったが、新幹線がすぐそばを通ることになっていて、新幹線の4年後の開通で、騒々しくならなければいいなあと思った。
この廟所のとなりに、少し開けた土地が確保してあって、お堂を建てたいそうだけど、実現するといいなって思った。
2008年8月17日日曜日
夏休みお寺の子ども会2008
お盆参りも終わり、今日は朝から「夏休みお寺の子ども会2008」!
盆明け直後ということもあってか、参加してくれた子どもは12人と少なかったけれど、お話あり、ゲームあり、人形劇ありでとても充実した会になりました。
写真は、会が終わって、残った子どもたちと、午前中、竹を切ってつくった水鉄砲で、水を掛け合って、たのしく遊んでいるところ!
午前中、水鉄砲をいっしょに作っていたとき、ある女の子が、日ごろの生活の中での親とのやり取りを話してくれました。
おじいちゃんとの会話、お母さんとのやり取り。叱られたことやほめてもらったこと。
その中で印象に残った二つの言葉。
「大人たちはすぐに怒るから嫌い!」
「親は、子どもたちには『けんかをしないで仲良くしなさい』って言うけど、自分たちはすぐに夫婦喧嘩をする」
聞いていた私は、身につまされるやら、感心するやら。子どもの目は、鋭い。
でも、ある意味、こんな形で子どもの愚痴の聞ける子ども会もいいなあって思いました。
2008年8月16日土曜日
2008年8月15日<お盆参り>
今日は8月15日。63年前、15年にわたる戦争が終わった(日本が敗れた)終戦記念日。
二度と再び、戦争を起こさないためにも、非戦の誓いを新たにしなければと思う。
それと、今日はお盆のど真ん中の日!
毎年、お盆には、ご門徒さんへ、一週間かけてお参りしている。 一日、約10軒程度のお参りになるので、ともすれば、恒例の行事として淡々とお参りするようになってしまう。
けれど、中には、心待にしていてくださるご門徒さんもいてくださり、もっと若い頃には苦痛でしかなかったお盆参りも、最近は、少し、楽しくなってきている。
でも、やっぱり暑くて足も痛くなってたぁいへんなのはもちろん、変わらない あと2日、がんばろう!
二度と再び、戦争を起こさないためにも、非戦の誓いを新たにしなければと思う。
それと、今日はお盆のど真ん中の日!
毎年、お盆には、ご門徒さんへ、一週間かけてお参りしている。 一日、約10軒程度のお参りになるので、ともすれば、恒例の行事として淡々とお参りするようになってしまう。
けれど、中には、心待にしていてくださるご門徒さんもいてくださり、もっと若い頃には苦痛でしかなかったお盆参りも、最近は、少し、楽しくなってきている。
でも、やっぱり暑くて足も痛くなってたぁいへんなのはもちろん、変わらない あと2日、がんばろう!
このところのガソリン価格上昇を考えて、今まで乗っていた「ラブ4」に代えて、マイミクのぶるーさんが以前に乗ってた「ラパンSS」に乗り換えることにしました。
その「ラパン」が、8月2日にやってきました。
お参りには、小回りがきいて、最適で〜す!
写真は、お参り先のマンションの駐車場で待機する「ラパン」です。
お昼にお寺に帰ったら、ちょうど正午でした。
二枚目の写真は、「終戦記念日」の正午についた梵鐘に怯えて、ほうきの影に隠れている愛犬タロウです!
2008年8月15日金曜日
2008年8月8日<「安穏」の取材に同行しました>
昨年の秋に第一号を発行したタブロイド版の情報紙「安穏-京都からのメッセージ」の中面を飾っている筑波大学の今井先生の親鸞聖人の生涯をめぐる企画の取材に、今日一日同行させていただいた。
まずは、親鸞聖人が比叡山と京都の六角堂を行き来された時通られた「雲母(きらら)坂」。
親鸞聖人ご在世のころの道の様子を想像しながら、下からチョッとだけ登ってみた。
そうしたら、「やっぱり頂上まで登ってみたいよね」ということで、少々涼しくなったら、登ってみようということに同行の事務局のH君と勝手に決める。
その後、「北山別院」「六角堂」(近日加筆予定)をめぐって、本願寺へ帰った。
まずは、親鸞聖人が比叡山と京都の六角堂を行き来された時通られた「雲母(きらら)坂」。
親鸞聖人ご在世のころの道の様子を想像しながら、下からチョッとだけ登ってみた。
そうしたら、「やっぱり頂上まで登ってみたいよね」ということで、少々涼しくなったら、登ってみようということに同行の事務局のH君と勝手に決める。
その後、「北山別院」「六角堂」(近日加筆予定)をめぐって、本願寺へ帰った。
2008年8月7日<「崖の上のポニョ」を観てきました!>
宮崎駿監督作品「崖の上のポニョ」を仕事の疲れを癒すため(?)に、観てきました。
映画のサイトのレビューが、あまりいい評判ではなかったので、期待薄な感じで出かけたのですが、これが、大変な勘違い。
やっぱり宮崎さんは期待を裏切らない人です。なんともいえないほのぼのとした気持ちで、エンディングの「ポニョ、ポニョ、ポニョ、魚の子~♪」を口ずさんでいました。
映画がすべて終わってからも、しばらくは感動して動けなかったくらい。
私の勝手な感想ですが、この作品に対して酷評している人は、子どもの心を忘れた人、もしくは、現代社会の余裕のなさの中で、心を閉ざしてしまって、感性の扉を拓くことのできない人ではないかとさえ思います。そのことの克服の方途も含めて、宮崎さんは、描いたのではないかと思います。
パンフレットの「監督企画意図」に、宮崎さんは、
「少年と少女、愛と責任、海と生命、これ等初源に属するものをためらわずに描いて、神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。」
と書いている。
いろいろな感想の中、yahoo映画に書き込まれている「giraffepostさん」のレビューに同感のところが多いです。
映画のサイトのレビューが、あまりいい評判ではなかったので、期待薄な感じで出かけたのですが、これが、大変な勘違い。
やっぱり宮崎さんは期待を裏切らない人です。なんともいえないほのぼのとした気持ちで、エンディングの「ポニョ、ポニョ、ポニョ、魚の子~♪」を口ずさんでいました。
映画がすべて終わってからも、しばらくは感動して動けなかったくらい。
私の勝手な感想ですが、この作品に対して酷評している人は、子どもの心を忘れた人、もしくは、現代社会の余裕のなさの中で、心を閉ざしてしまって、感性の扉を拓くことのできない人ではないかとさえ思います。そのことの克服の方途も含めて、宮崎さんは、描いたのではないかと思います。
パンフレットの「監督企画意図」に、宮崎さんは、
「少年と少女、愛と責任、海と生命、これ等初源に属するものをためらわずに描いて、神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。」
と書いている。
いろいろな感想の中、yahoo映画に書き込まれている「giraffepostさん」のレビューに同感のところが多いです。
2008年8月5日 <龍谷総合学園宗教教育研究会>
3日の日曜日から5日まで、2泊3日の日程で、全国の宗門関係学校の加盟する龍谷総合学園24校の宗教科担当の教員などを対象とした「宗教教育研究会」が開かれました。
去年私は、初日の分科会のみオブザーバーで参加しましたが、今年は、第2分科会の助言者として全日程参加させていただいきました。
第2分科会のテーマは、「生徒の心の叫びに対する宗教科教員の役割」でしたが、主に二人の教員から出された実践報告をもとに、論議が重ねられました。
実践報告の中で出された生徒たちの「心の叫び」に対して、真摯に取り組んでこられた2人の先生の姿勢に感動しながら、私も今までの相談室での経験や、学校カウンセリング研究会で学んできたことからの、生徒の心の叫びをどう聞いていくかの細かいアドバイスをケースにそってさせていただいた。
二人の先生には大変喜んでいただけて嬉しかったけど、本来、私はこのような活動をしたかったのだということを再確認できたことて私もとても充実した3日間を過ごすことができました。
龍谷総合学園として、いや、総合学園だけでなく宗門としても、宗教科の授業をどのように展開するかという課題と共に、このような先生方のホローアップの方法を考えてもいいのではないかと思いました。
それは、宗教教育とは、その宗教が何を説いているのかを知識として教えるということを超えて、心豊かに生きていくことのできる一人ひとりになっていくことを課題とするものであってほしいと思うからです。
「一人ひとりの悩みに共感することのできる開かれたお寺にする」という基幹運動の課題の「お寺」の部分を「学校」と置き換えて考えるということ、また一つ、課題が見つかったという感じでした。
去年私は、初日の分科会のみオブザーバーで参加しましたが、今年は、第2分科会の助言者として全日程参加させていただいきました。
第2分科会のテーマは、「生徒の心の叫びに対する宗教科教員の役割」でしたが、主に二人の教員から出された実践報告をもとに、論議が重ねられました。
実践報告の中で出された生徒たちの「心の叫び」に対して、真摯に取り組んでこられた2人の先生の姿勢に感動しながら、私も今までの相談室での経験や、学校カウンセリング研究会で学んできたことからの、生徒の心の叫びをどう聞いていくかの細かいアドバイスをケースにそってさせていただいた。
二人の先生には大変喜んでいただけて嬉しかったけど、本来、私はこのような活動をしたかったのだということを再確認できたことて私もとても充実した3日間を過ごすことができました。
龍谷総合学園として、いや、総合学園だけでなく宗門としても、宗教科の授業をどのように展開するかという課題と共に、このような先生方のホローアップの方法を考えてもいいのではないかと思いました。
それは、宗教教育とは、その宗教が何を説いているのかを知識として教えるということを超えて、心豊かに生きていくことのできる一人ひとりになっていくことを課題とするものであってほしいと思うからです。
「一人ひとりの悩みに共感することのできる開かれたお寺にする」という基幹運動の課題の「お寺」の部分を「学校」と置き換えて考えるということ、また一つ、課題が見つかったという感じでした。
2008年8月4日<知恩院と金戒光明寺へ行ってきました>
2008年8月1日<暁天講座第一日>
去年まで、20数年、「正信偈」の講座を続けてきたが、なんとか終了したので、今年から、「歎異抄」の話を始めることにした。
「歎異抄」は、第1章から第16章までと後序があるので、今年も入れて、17年間もかかってしまうことになる。今、私は51歳なので、終了時は、68歳になっていることになるなあと思った。
昨日、得度を終えて帰宅した長男の願生が、参拝されたご門徒さんの前で、初の正信偈の「調声(前に出て最初に声を出す、いつもは住職が勤める役)」をやった。
まだ、私も副住職なのだが、2013年に住職継職をして、この「歎異抄」の講座が終了するころ、今日、調声した願生に、住職を受け継いでもらうことになるのかなあと思った。
「歎異抄」は、第1章から第16章までと後序があるので、今年も入れて、17年間もかかってしまうことになる。今、私は51歳なので、終了時は、68歳になっていることになるなあと思った。
昨日、得度を終えて帰宅した長男の願生が、参拝されたご門徒さんの前で、初の正信偈の「調声(前に出て最初に声を出す、いつもは住職が勤める役)」をやった。
まだ、私も副住職なのだが、2013年に住職継職をして、この「歎異抄」の講座が終了するころ、今日、調声した願生に、住職を受け継いでもらうことになるのかなあと思った。
2008年7月29 日<残念ながらまた体重アップ>
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